【解説】2023年度「本試」共通テスト 国語 第3問

以下の解説を

共通テスト【国語】2023年本試 問題+解答 +解説(一部)

に追加しました!


【解説】2023年度「本試」共通テスト 国語 第3問

2023年度 本試験 国語 第3問

古文の問題文の現代語訳

 皇居で働く役人たちは、船をどのように飾るか悩み、使者に紅葉をたくさん集めさせ、船の屋根の形に飾り付け、船を操る若者たちを選んだ。彼らは、狩袴を染めて華やかに着飾っていた。船遊びの日がやってきて、人々が集まった。皇居の高官たちが「船の準備はできているか」と尋ねると、「すべて準備できています」と役人たちが答えた。船に乗る時間が来ると、船が島陰から現れた。見事に飾られた二隻の船が煌びやかに輝いていた。

  人々はそれぞれ乗り分け、皇后寛子から管弦の道具を借りて、演奏する人たちを前に据え、船をゆっくり動かした。南の普賢堂で、宇治の僧正が修行をしていたが、船遊びがあることを知り、多くの僧たち、老若が集まり、庭で座って見物していた。お供の童から法師まで、花模様の刺繍入りの衣装を着て、後ろに控えて座っていた。

  その中に良暹という歌詠みがいて、ある高官が彼を見つけ、「良暹が参加しているのか?」と尋ねた。良暹は目を細めて笑って、頭を下げていた。隣にいた若い僧が状況を理解し、「そうです」と答えた。船に乗っている高官の一人が「良暹を船に呼んで乗せ、連歌をさせたらどうだろうか?」と提案し、もう一つの船の人々に相談した。しかし、「良暹程度の者を乗せるべきではない。後世の人々が、乗せなければよかったと言うだろう」と反対する者がいたため、それを受け入れて、良暹を乗せずに連歌を詠ませることにした。船を良暹の近くに寄せ、「良暹よ、この場にふさわしい連歌を詠んでくれ」と頼んだ。良暹は機転が利く人物
で、もしかしたら連歌を詠むようなことがあるかと考えて準備していたのかもしれない。彼は高官の言葉を聞くとすぐに隣の僧に何かを言い、その僧が船に近づいて言った。「紅葉が赤く色づき、進んでいくように見える紅葉の屋根の御船です」と伝えた。

 人々はこれを聞いて、他の船の人々に伝え、下の句を付けようとしたが遅かった。船を漕ぐわけでもなく、ゆったりと築島を回り、一周した後に下の句を付けて言おうとしたが、誰も付けることができず、時間が無駄に過ぎてしまった。「どうした」「遅いぞ」と船同士が言い争って、築島を回ることが二周になってしまった。それでもやはり、下の句を付けることができなかったので、船を漕がず、築島の陰で、「体裁が悪い、下の句を付けないのは。日も暮れてしまった。どうしようか」と言って、下の句を付ける気持ちがなくなり、付けずに終わってしまうことを嘆いていた。

 華々しく管弦の道具を借り受けて船に乗せたのに、最後まで音を奏でる人がいなかった。そんな中、普賢堂の前にたくさん座っていた人々も、皆立ち上がって帰ってしまった。人々は船から降りて、皇后寛子の前で管弦の遊びをしようと考えたが、この一件で予定が狂い、皆逃げるように帰っていった。役人たちは船など一生懸命準備しても、結局無駄になってしまった。

 多くの人々が石清水八幡宮の御神楽に参加したとき、別の日に、石清水八幡宮の長官である法印光清が、御堂の池の釣殿で人々と共に管弦の遊びをしていた。彼は、「私は連歌を作ることが得意だと思っている。今から連歌をしたいものだ」と言って座っていると、形式通りにと考えて俊重が言った。

「釣殿の下には魚が住んでいないのだろうか。」   俊重

 光清は何度も下の句を考えたが、付けることができずに終わってしまった。帰って俊頼にそのことを話すと、試しにと言って、俊頼が言った。

「うつばりの影ではないが、釣針の姿が水底に見えているよ。」   俊頼

 この連歌のやり取りが人々の間で評判となり、散木奇歌集に収録されることとなった。それ以降、石清水八幡宮の御神楽や釣殿での連歌の遊びは、多くの人々に親しまれるようになり、時代を超えて楽しまれることとなった。また、連歌の技法や詠み手たちの知恵と機転が試される場として、さまざまな場面で連歌が詠まれるようになった。

 


問1の解説:

(ア)「やうやうさしまはす程に」
正解は③で、ここでは「やうやう」という言葉が「次第に・徐々に」という意味を持ち、「さしまはす」は「差し回す」の意味で船の棹を差して進めることを示しています。したがって、文の内容から最も適切な選択肢は③です。

(イ)「ことごとしく歩みよりて」
正解は④で、「ことごとしく」という言葉は「おおげさだ・仰々しい」という意味を持ちます。「歩みよりて」は、船に近づくか殿上人の方に向かうことを意味します。選択肢の中で、「ことごとし」の意味を考慮したものは、「もったいぶって」を示す④である。

(ウ)「かへすがへすも」
 正解は②です。

 「かへすがへす」は「繰り返し・何度も何度も」の意味を持っています。船が次の句を詠む前の話なので、文脈に合わせて選択肢①の「繰り返すのも」は適切ではありません。したがって、正解は②です。

問2の解説:

 正解は③です。

 この問題では、まず文法面から検討するのが適切です。文法をチェックするだけで正解に辿り着けます。a「若からむ」は、「若から+む」である。「らむ」は現在推量の助動詞「らむ」ではありません。b「侍り」は丁寧語ですが、会話文の中にあるため「読み手」(=読者)に敬意を表す対象ではありません。c「にや」の「や」は疑問の係助詞で正しい。d「付けぬは」の「ぬ」は連体形であり、強意ではなく「打消」の意味があります。e「覚えずなりぬ」の「なり」はラ行四段活用動詞「なる」の連用形です。したがって、選択肢③が正解です。

問3の解説:

 正解は⑤です。傍線部のない内容合致系の設問であり、最近は細かい判断を問うものではなく、明確な判断要素で解答に辿り着けるようになっています。それぞれの選択肢を確認していくと、①は「当日になってようやく」という部分が誤りで、実際には「船の屋形にして」の後に「その日になりて」と書かれており、船の準備は「前日」に行われています。②は「宇治の僧正」が「呼び集めた」という部分が誤りで、皆が自発的に庭に出てきたのです。③は「辞退した」という部分が誤りで、「乗せずして」と書かれており、船に乗っている人々が良暹を乗せなかったのです。④は「連歌も行うことにした」のは「良暹」がいたからである。本文の「良暹、目もなく笑みて、」と「かたはらに若き僧の侍りけるが」に着目することで、選択肢⑤が正解となります。

 つまり、問1では(ア)は徐々に船を動かす様子、(イ)はもったいぶって船に近づく様子、(ウ)は何度も考える様子を示していることが分かりました。問2では、選択肢③が正解で、「や」が疑問の係助詞であることが確認できました。問3では、選択肢⑤が正解で、若い僧が良暹に代わって殿上人たちに答えたことが示されています。

 このように、それぞれの設問で文法や文脈を考慮して正解を導き出すことが大切です。また、解答選択肢を丁寧に読み、文の意味や表現を理解することが、問題解決の鍵となります。

問4の解説:

(ⅰ) 正解は④です。掛詞の見つけ方を身につけているかどうかが問われています。
また、和歌読解の基本どおり下の句の意味が通るかどうかも確認することが重要です。本問においては、「釣殿の下には魚はすまざらむ」では、「すむ」が掛詞になる可能性があり、「うつばりの影そこに見えつつ」では「うつばり」「そこ」が掛詞になる可能性があります。

 「すむ」は「住む・棲む」や「澄む」だと考えられますが、ここでは「魚がすむ」以外の意味は読み取れないため、「住む・棲む」の意味だけで掛詞ではありません。「そこ」も「そこ(=あなた)」と「底」だと考えられますが、「そこに見えつつ」であるため、「底に見えつつ」の意味しかないと判断できます。

 一方、「うつばり」は注にあるように釣殿の屋根の重みを支える「梁」と釣り「針」の二つの意味として捉えることができます。したがって、下の句は「釣り針が水底に見える」という意味で解釈されます。この点を踏まえているものが④である。その他の選択肢は、掛詞の解釈や意味が誤っています。

(ⅱ) 和歌読解・解釈
 正解は①です。まず、本文の連歌(和歌)の下の句の意味を考えることが重要です。さらに、この歌が詠まれた状況を確認することがポイントとなります。今回の問題では状況の確認だけで正答を選ぶことができます。状況としては①の「船遊びの場にふさわしい句を求められて」が最適です。他の選択肢では、詠まれた状況が誤っています。②の「寛子への恋心を伝えるため」、③の「頼通や寛子を賛美するために詠んだ」、④の「祈禱を受けていた寛子のために詠んだ」は、すべて誤りです。

(ⅲ) 内容合致
 正解は③です。生徒と教師の対話から、「別の人がこれに続く七・七を付けることが求められていたんだ」という部分に続く空欄を埋める必要があります。つまり、連歌の下の句を付ける内容である必要があります。

 まず、この点に触れていない④は誤答となります。その後で、次の句を付けることができなかったことにより何が生じたかを確認すればよいです。①は「良暹を指名した責任について」の「言い争い」ではありません。あくまでも次の句を付けられないことについての言い争いなのです。②は「催しを取り仕切ることも不可能だと悟り」が誤りです。悟ったのではなく何も考えられなくなったのです。③は「すぐに句を付けることができず」「池の周りを廻るばかり」「雰囲気をしらけさせたまま帰り」「宴を台無しにしてしまった」という全ての要素が合致しています。

 このように、問題4の解説は、和歌の修辞法や解釈、内容の合致について、それぞれの選択肢の正誤を丁寧に分析していることがわかります。学ぶべきポイントは、掛詞の特徴や和歌の意味の読み取り方、状況の確認などです。これらを理解し、適切な解釈を行うことが、和歌の読解において重要です。


 『俊頼髄脳』は、平安時代の日本で著された歌論書で、源俊頼(みなもとのとしより)が著者とされています。この書は、和歌を詠む人向けの作歌の指南書や手引書として位置づけられており、説話色が強く、和歌の故事や詠み手の心得などが紹介されています。源俊頼は、五番目の勅撰和歌集『金葉和歌集』の編者でもあり、その編集方針や詩風が『俊頼髄脳』にも影響を与えています。

 『俊頼髄脳』は、源俊頼の子である高陽院泰子(かやのいんやすこ)のために書かれたとされていますが、その真偽は定かではありません。しかし、その内容から、和歌を学ぶ貴族たちや宮廷人に向けて書かれたと考えられています。

 この書は、『俊頼口伝集』や『俊秘抄』とも呼ばれることがありますが、それぞれ異なる書物として扱われることもあるため、注意が必要です。『俊頼髄脳』の中では、和歌の基本的なルールや形式、詩的表現の技法、さらには詩人たちの逸話や和歌にまつわる故事などが幅広く語られており、当時の和歌文化を理解する上で貴重な資料となっています。

 平安時代の和歌の精神性や美意識を網羅した『俊頼髄脳』は、後世の和歌文化にも大きな影響を与えました。また、その内容は、日本文学や日本の文化史研究においても重要な資料とされており、今日でもその価値が認められています。

 

 

 

関連記事